【第一審:平成31年4月19日 東京地裁判決(事件番号:平27(ワ)15736号)】
1.訴訟の背景
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当事者
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原告会社:多数のタレントを有する大手芸能事務所。
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原告A(代表取締役):原告会社代表取締役であり、芸能団体の常任理事なども務める。
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被告会社:雑誌・書籍発行を営む出版社。
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被告D(編集長):被告会社の従業員で、問題となった週刊誌の最終編集権限を有する。
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問題の発端
NHK連続テレビ小説で主演し国民的女優となったタレントBが、原告会社との契約延長を巡りトラブルに。独立騒動や“洗脳報道”が世間をにぎわす中、被告会社が発行する週刊誌およびウェブページで「なぜBは姿を消したのか」とする記事(以下「本件記事等」)を掲載した。原告らは、これらの記事中に「月給5万円しか支払わず経費も負担せず下着も買えないような過酷な待遇」「合理的理由なく仕事を“干して”いた」「社長によるパワハラ発言」などの事実摘示があるとして名誉毀損を主張した。
2.争点
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名誉毀損該当性:
本件記事等において、原告会社がタレントBに過酷な労働条件を強いていたとか、合理的理由なく仕事を入れない行為があったのか、また原告A(社長)がBにパワハラを行ったかといった摘示事実が、社会的評価を低下させるものか否か。 -
真実性・相当性:
記事の公共性・公益目的が認められたとしても、摘示事実が真実、または真実と信じる相当な理由があれば違法性や過失が阻却される。これが成立するかどうか。 -
損害額・謝罪広告の要否:
原告会社・原告Aそれぞれの慰謝料相当額をいくらと認定するか。さらに謝罪広告掲載義務を命じるほどの悪質性があるかどうか。
3.東京地裁の判断
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名誉毀損かどうか
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「月給5万円だけで過酷」「仕事を干す」「社長による負け犬発言・パワハラ」という3点は、いずれも一般読者の視点から見て原告らの社会的評価を低下させると認定。
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ただし「マネージャーが頻繁に交代した」「車を用意しなかった」など他の記述は、それ自体では名誉毀損とはいえないとした。
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真実性・相当性の有無
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月給5万円・下着を買えないほどの待遇
実際には原告会社が家賃やレッスン費等、一定の費用を負担していた。取材時に担当マネージャーへのヒアリングなど裏付け取材も十分ではなく、被告らが「真実」と信じる相当な理由もない。よって違法性阻却は成立せず。 -
仕事を干す行為
B自身が出演を望まなかった作品があること、作品内容や騒動の影響もありオファーを断ざるを得なかった事情があった。合理的理由なく“嫌がらせ”目的で仕事を入れていないとはいえず、真実性も相当性も認められない。 -
パワハラ発言(「負け犬」等)
被告らはBらの一方的証言に依拠し、社長(原告A)側への十分な裏付け取材がなく、真実性・相当性いずれも認められない。
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損害額
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原告会社:550万円
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原告A:110万円
各金額に対し、週刊誌発売日(平成27年4月28日)以降の年5分の遅延損害金を加算するよう命じた。
なお、謝罪広告請求は、金銭賠償によって十分回復が可能として退けられた。
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(第一審の結論)
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原告会社:550万円+遅延損害金
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原告A:110万円+遅延損害金
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謝罪広告請求は棄却。
【控訴審:令和元年9月26日 東京高裁判決(事件番号:令元(ネ)2227号)】
1.控訴審の争点
被告会社および編集長(控訴人)が第一審判決を不服として控訴。
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第一審と同様、記事のうち「Bの待遇」「仕事を入れなかった理由」「パワハラ発言」の3点について争われた。
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控訴人は改めて「記事には真実性、または真実相当性がある」「そもそも“合理的理由なく干した”とは記事に書いていない」と主張。
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被控訴人(原告会社側)は第一審判決を支持しつつ、控訴人らの反論を排斥してほしいと求めた。
2.高裁の判断のポイント
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月給5万円・下着を買えない状況は「真実」と評価
高裁は、Bが「あまちゃん」撮影時に実際に月給5万円であったこと、経費精算が追いつかずに手持ちの現金がなく下着を買えなかったこと自体は事実と認めた。そのため当該部分に限っては違法性が阻却され、名誉毀損は成立しない。 -
“合理的理由なく仕事を入れない”との記述は依然として真実性なし
記事には「干す」とか「仕事は入れない」などのセリフが引用されているが、合理的理由がなかったとまでは立証されていない。タレント本人が作品を拒否していた事情もあり、出版社側が反証しきれていない。高裁も「合理的理由がない」という部分について、真実でも真実相当でもないと判断。-
ただし「Bが仕事をしたいと望んでいるのに入れなかった」という事実だけでは、名誉毀損の重要部分を肯定する決定打にならないとした。そこが真実であっても「“合理的理由がない”という核心部分」を裏付けるに足りないという趣旨である。
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パワハラ(「負け犬」発言)も真実性・相当性認めず
B側の一方的な主張に依拠し、録音データ(反訳)にも問題の暴言部分は確認されていない。よって「社長がBに暴言を吐くなどしてパワハラを行った」という点は真実とも、真実と信じるにつき相当ともいえない。
3.損害額の変更
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会社に対する賠償額:第一審が550万円としていたところ、330万円に減額された。
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「月給5万円で下着も買えない」という部分が真実(あるいは違法性がない)と認められた点が考慮され、原告会社の被害をやや小さく評価し直した形となる。
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代表取締役個人(被控訴人X2):第一審同様、110万円。
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遅延損害金の起算日や謝罪広告に関する部分は概ね第一審同様であり、謝罪広告は不要と判断。
(控訴審の結論)
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原告会社:330万円+遅延損害金(平成27年4月28日から)
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原告A(社長):110万円+遅延損害金
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その余の控訴は棄却。
1.名誉毀損訴訟における「真実性」と「真実相当性」の意義
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真実性
報道機関などが摘示した事実が、客観的に見て真実であれば(あるいは真実であると立証できれば)、名誉毀損の違法性は阻却される。 -
真実相当性
摘示事実が実際には真実でなかった場合でも、取材や裏付け調査を尽くし、記者・編集部が「真実と信じることに相当な理由」があれば、過失が否定される(すなわち責任が阻却される)。
名誉毀損訴訟では、記事中に示された「事実」が真実かどうか、仮に真実でなくても「真実と信じることに相当な理由があった」かどうかが最大の争点となります。
2.本件で問題になった3つの「摘示事実」
本件訴訟では、芸能事務所(被控訴人/原告)とタレントBとの関係について、週刊文春が発行する週刊誌・ウェブサイトに掲載された以下の事実が名誉毀損として主張されました。
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「Bは月給5万円で下着さえ買えないような経済状態だった」
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記事には「『あまちゃん』撮影時は月給5万円」「パンツを買うお金がない」といった文言がある。
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「Bが仕事をしたいにもかかわらず、芸能事務所が合理的理由なく仕事を干していた(入れなかった)」
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記事上ではマネージャーが「仕事は入れられない」「干すとは言わないが仕事は出さない」等と言ったとされる。
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「事務所社長が『負け犬』などと発言してBにパワハラをした」
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記事中において、Bが退所を申し出た際、社長が頭ごなしに否定し「負け犬」などの暴言を発した、と報じられた。
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これら3点が「事実として摘示され、名誉を毀損したか否か」が争われ、裁判所は真実性および真実相当性を1つずつ検討しました。
3.裁判所の詳細な判断
(1) 「月給5万円」「下着も買えない状態」について
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真実性の判断
高裁は、BがNHK連続テレビ小説の放送・撮影時期に、確かに月給が5万円だった点を認定しています。また経費の精算が追いつかず、Bが手持ちの現金を持ち合わせていないため「買い物ができなかったことがあった」という事実自体は存在すると判断しました。-
ポイント:ここでは「事務所が全く費用を負担しなかった」とまではいえないものの、月給5万円・経費精算の遅れにより下着を買うお金が手元になかった、という“狭い範囲”では事実と認定しました。
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真実相当性の判断
仮に上記が真実でない部分があったとしても、記事を書いた記者が取材した際、B本人や周辺関係者から「月給が5万円で大変だった」との話を詳しく聴取していれば、記事内容を真実だと信じる可能性があります。しかし本件では、高裁自体が「当該部分は真実と認められる」としたので、違法性が否定されました(=名誉毀損は成立しない)。
まとめ:
「月給5万円」という記事中の事実は実際に真実だったという理由から、そこに基づく名誉毀損は成立しない。一方で「まるで事務所が一切費用負担をせずBを極貧状態にした」というほどの文言には至らない、というのが裁判所の見方です。
(2) 「Bが仕事をしたがっているにもかかわらず、合理的理由もなく“干していた”」について
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真実性の判断
記事中ではマネージャーの台詞として「干すとは言わないが仕事は入れない」「お前の態度が悪いからオファーが来ない」などと報じています。しかし裁判所は、B自身が断った作品があることや、監督や映画制作会社などとのトラブルなど“仕事を入れられなかった合理的事情”があったと認定しました。
つまり、「仕事が実際になかった/オファーを断った経緯」に合理的理由が存在し、記事が描く“何の理由もなく干している”という事実は真実といえないと判断。 -
真実相当性の判断
では「取材を尽くし、真実だと信じるのも無理はなかった」のかという点について、裁判所は「記者はB側やその関係者(Fなど)にのみ偏った取材をし、事務所側にも十分な裏付け取材を行わなかった」と指摘しました。-
裏付けを取るべき芸能事務所の代表やマネージャーへの確認が不十分だった。
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Bが事務所と対立している状態で、B側の主張だけを鵜呑みにした。
このような経緯から「合理的理由なく“干している”という事実を真実と信じるについて相当な根拠はない」と結論づけています。
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まとめ:
「仕事を干している」という印象的な事実は立証されておらず、取材不足も相まって「真実相当性」も認められない。従って、ここについては名誉毀損が成立するとして、出版社・編集長の責任が認められました。
(3) 「事務所社長のパワハラ発言(『負け犬』など)」について
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真実性の判断
記事によると、社長がBに対して頭ごなしに否定し「負け犬」と罵ったなどと報じられていた。しかし裁判所は、取材元の録音反訳書面などを精査したところ、実際には「負け犬」といった直接の暴言は確認できず、パワハラといえるような高圧的表現も記録にはなかったと認定しました。-
Bや周辺者(対立関係にあるFなど)の証言でしか根拠がなく、録音データにもそのような発言が出てこない以上、真実とは認められない。
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真実相当性の判断
さらに「Bらの証言にのみ依拠し、社長サイドへの十分な反証機会や裏付け取材が行われていない」という点が重視されました。「記事に書いてあるから真実だ」と信じるには相当な理由がないとして、真実相当性も否定しました。
裁判所は、Bが「被害を強調」する動機があり得る、また対立する一方当事者の話だけを取り上げた記事には十分な慎重性が求められる、と言及しています。
まとめ:
「暴言パワハラ」の事実は録音等の明確な証拠で裏付けられず、被告側が真実だと信じる相当性も認められなかった。結果、名誉毀損成立。
4.最終的な結論への影響
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“月給5万円・下着が買えない”部分
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真実と認定され、違法性阻却 → 名誉毀損にならない
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“仕事を干している”部分
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真実性・真実相当性ともに否定 → 名誉毀損成立
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“パワハラ・負け犬発言”部分
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真実性・真実相当性ともに否定 → 名誉毀損成立
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以上を踏まえ、高裁は会社の名誉毀損に関する損害賠償額については、第一審よりも減額(550万円→330万円)しましたが、“干している”“暴言”の部分は違法と認定し続け、名誉回復のための賠償責任を維持しました。
5.本件の示唆
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裁判所は、報道の「公共性・公益目的」を肯定しながらも、「事実の真偽」や「裏付け取材の程度」について厳格に検討しています。
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報道する内容が部分的に真実であっても、ほかの核心部分で真実性・真実相当性が否定されれば、名誉毀損として認定されることがある。
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相手当事者と対立している片側の主張を丸呑みせず、反対側への取材や客観的な証拠の確認を十分に行うことが、真実相当性の認定には不可欠といえます。
まとめ
本判決の最大の争点は、「記事中の具体的な事実の真実性」「取材源に偏りがないか」という点でした。裁判所は、
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月給5万円で下着が買えない … 実際にそうした状況があったと認定し、違法性が否定
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仕事を干す/パワハラ発言 … 記事の核心部分は裏付けが取れず、真実でもないし、真実だと信じる相当理由もない
と判断しています。
こうして、真実性が認められるかどうかで記事の合法・違法が分かれ、さらに真実でなくても「真実相当性」があれば名誉毀損責任を免れる場合があるわけですが、本件では「合理的理由なく仕事を干す」や「負け犬」発言については十分な裏付けを欠き、真実相当性も否定された結果、名誉毀損責任が確定しました。