東京地方裁判所令和5年(ワ)第70513号・令和6年7月18日判決・裁判所ウェブサイト
1 本件の概要
本件は、空手道場を経営する原告が、同じく空手道場を運営する被告によるSNS(フェイスブック)上の投稿によって名誉を毀損されたと主張し、損害賠償を求めた事案です。
原告は、被告の投稿が「後遺症が残るほどの大けがを門下生(Fの妻)に負わせた」という虚偽の事実を流布する行為に当たるとし、民法上の名誉毀損に加え、不競法2条1項21号が禁止する「虚偽事実の流布」に該当するとして損害賠償(合計380万円)を請求しました。
一方、被告は、投稿で原告の実名を示したわけではなく、不特定多数に原告だと分かるとはいえない、または真実と信じる相当な理由があったなどと反論しました。
最終的に裁判所は、原告の請求を一部認め、28万円及び遅延損害金の支払いを命じる判決を言い渡しています。
2 本件の争点
本件では、以下の5点が主に問題になりました。
-
同定可能性
投稿の中には原告の実名が登場していません。しかし、「道場主が門下生にけがを負わせた」という文言によって、閲覧者が原告を指すと認識できるか(同定可能か)が争点となりました。 -
名誉毀損の成否
被告による投稿の内容が「後遺症が残るほどの大けがを負わせた」と事実を摘示しているか、またそれが原告の社会的評価を低下させるかが問題になりました。さらに、それが真実か、あるいは真実と信じるにつき相当な理由があったか(いわゆる真実性・相当性の抗弁)も検討されました。 -
不競法2条1項21号(虚偽事実の流布)該当性
不正競争防止法は、競争関係にある他人の営業上の信用を害する虚偽の事実を流布する行為を禁じています。原告と被告が競争関係にあるか、そして被告の投稿内容が「虚偽の事実の流布」に当たるかが争点となりました。 -
名誉感情侵害
被告の投稿の一部に「鬼畜道場主」「鬼畜の所業」といった激しい表現があり、社会通念上許容される侮辱の範囲を超えているかどうかが検討されました。 -
損害額
以上の行為によって原告に生じた損害(慰謝料や営業上の無形損害、弁護士費用など)をいくらと認めるかが最終的に問題となりました。
3 裁判所の判断
(1)同定可能性
裁判所は、投稿内に「原告の実名・写真などの直接的な情報」が記載されていなくても、次の基準で同定可能性を判断するとしました。
本件では、被告の投稿が、
-
「Fの妻が過去に通っていた道場の道場主」として原告を指す内容になっている
-
Fは空手大会などで実績を多数残しており、空手関係者の間では広く知られている
-
フェイスブック設定が一般公開で、他の流派や空手道場の関係者も含め多数の閲覧者がいる
といった事情から、原告とFの関係を把握している者であれば容易に「道場主=原告」と気づくと認めました。
さらに、同定できる者がたとえ少数でも、その者が投稿内容をさらに広める(「伝播可能性」)おそれがあれば名誉毀損は成立するとしています。
(2)名誉毀損の成否
裁判所は、被告の投稿が「後遺症が残るほどの大けがを門下生に負わせた」という事実を摘示するものと認定しました。そして、これは空手道場主としての原告の信用や社会的評価を低下させるおそれが高いとしています。
一方、原告が門下生(Fの妻)に対して回し蹴りを当てたこと自体は認められますが、それが「後遺症が残るほどの大けが」だったかどうかは別件訴訟の判決(女性側の請求棄却)や医師の診断書の記載などからも明確には裏付けられていません。
したがって、被告側が主張する真実性や真実と信じる相当性の抗弁は否定されました。
(3)不競法2条1項21号の成否
裁判所は、原告・被告がそれぞれ異なる流派の空手道場を運営していても、「空手を学びたい人」という需要者層が重なる可能性がある以上、両者は競争関係にあると認定しました。そのうえで、「後遺症が残るほどの大けがを負わせた」という事実摘示が虚偽であるため、不競法2条1項21号の「虚偽の事実の流布」に該当すると判断しました。
(4)名誉感情侵害
本件投稿のうち、「鬼畜道場主」「鬼畜の所業」という表現については、社会通念上許される批判表現の範囲を超え、人格を著しく貶めるものと認定されました。したがって、これは名誉感情を違法に侵害する侮辱行為に当たるとしています。
(5)損害の認定
原告は合計380万円を求めましたが、裁判所はその大半を斟酌のうえ、最終的に28万円(慰謝料や営業上の損害、弁護士費用などを含む)を認めるにとどめました。
減額の主な理由としては、
-
被告投稿が実名を直接挙げていなかった
-
被告が故意に虚偽を流布する悪意よりも、元投稿(Fの投稿)を鵜呑みにした軽率さが強い
-
実際に原告の道場経営に顕著な損害が出た証拠までは確認できない
などが考慮されたとみられます。
4 本判決の意義
(1)SNS匿名投稿における同定可能性
本判決は、SNSでの匿名投稿であっても、「原告を知る人」が読めば容易に原告と分かる場合には同定可能性が肯定されるとしました。特に、道場やコミュニティなどの狭い世界では、当事者を直接知らない第三者からすると匿名でも、当該コミュニティ内の人には誰か分かるという事情が起こりやすいです。こうしたとき、投稿者に「一般大衆は知らないからセーフ」といった言い訳は通用しづらいことが改めて確認されました。
(2)「伝播可能性」の考え方
名誉毀損が成立するには、公然性(不特定多数または多数人の認識)が必要とされることが多いです。しかし、本判決では、特定少数が同定可能であっても、その少数がさらに投稿を広めるおそれがあれば、公然性が認められることを強調しています。SNSは一度情報が拡散すると瞬時に広がる傾向があり、こうした「流布の可能性」が重視されました。
(3)不競法2条1項21号と「競争関係」
空手道場といっても流派や指導方針はさまざまですが、本判決は広く「空手を学びたい人」という需要者層に着目して、両道場が競争関係にあると認めました。これは、異なるジャンルや微妙に異なる市場領域であっても、需要者層が重なり得るならば不競法の保護対象となる可能性があることを示唆しています。
(4)侮辱表現の限度
本件では「鬼畜」という激烈な言葉が使用されていました。裁判所は、単なる意見・論評の範囲にとどまらず、人格を著しく否定するものと判断しています。SNSでしばしば見受けられる過激な文言は、社会通念上「許容される限度」を超えれば、名誉感情侵害に該当する可能性が高いことに注意が必要です。
(5)損害額の算定
本判決は最終的に28万円の認容にとどめました。これは、被告の投稿が公然に行われたことや虚偽性が認定されながらも、直接的な営業損害が具体的に立証されなかったことなどを総合考慮したものと考えられます。SNSの匿名投稿は拡散力が大きい反面、損害がどこまで顕在化しているか立証が難しい面もあるため、裁判所が一定の限定的な評価にとどめたという点は注目されます。
5 まとめ
本件判決は、SNS上の匿名投稿において、「名誉毀損」「侮辱(名誉感情侵害)」「不競法上の虚偽事実の流布」がどのように成立し得るかを分かりやすく示した裁判例といえます。近年では、SNSを利用した誹謗中傷やデマが問題となる事例が増加しており、本判決は次のような教訓を与えているといえます。
-
匿名であっても同定可能なら名誉毀損が成立する
不特定多数に実名を示していなくても、「原告を知る人が見れば分かる」と評価される場合は危険です。コミュニティの狭さや関係者の多さを考慮し、自分の投稿が誰かの名誉を侵害していないか慎重に確認する必要があります。 -
伝播可能性があれば公然性が認められる
特定少数にしか分からないと思っても、その少数が情報を拡散することで広く知れ渡るおそれがあれば、公然性(名誉毀損の成立要件)は肯定されがちです。 -
「鬼畜」などの過激表現は名誉感情を侵害する
単なる批判ならまだしも、人格を否定するような表現は違法となるリスクが非常に高いといえます。 -
不競法の「虚偽事実の流布」に注意
自社(自道場)と競合関係にある他社(他道場)に関し、事実と異なる情報を拡散すると、不法行為(名誉毀損)だけでなく不競法違反にもなり得ます。誤った情報を流せば、二重に法的責任を負う可能性があります。
本件は、道場同士の対立という形ですが、ネット社会一般で十分に起こり得る問題といえるでしょう。SNS上の表現は広範囲に瞬時に拡散されやすい一方で、真偽不明の情報を掲載したり、感情的な表現を用いたりすると、法的責任を免れにくいという点が改めて明らかになったと思います。投稿時には、真実性の確認と表現内容の慎重なチェックを怠らないことが重要です。以上が本件判決の概略と意義になります。