1.はじめに
令和6年6月26日に言い渡された知的財産高等裁判所(以下「知財高裁」といいます)判決(令和5年(ネ)第10102号・裁判所ウェブサイト)は、いわゆるファイル共有システム「BitTorrent(ビットトレント)」による著作権侵害行為をめぐって、プロバイダ責任制限法上の発信者情報開示請求が認められた事案です。本件は、従来、特に一部の地方裁判所知的財産権専門部においては、動画ファイルが「ピース」に細分化されて再生が困難な場合には送信可能化権侵害の明白性を否定する判断が相次いでいたところ、知財高裁がそれと異なる立場から開示請求を肯定した点に大きな意義があります。
以下では、本判決の事実関係や法的争点、そして従来の下級審裁判例との関係に触れつつ、本判決の背景と今後の展望を概観したいと思います。
2.事案の概要
(1) 事実関係の骨子
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控訴人(原告に相当)は、動画の著作権者であり、BitTorrentネットワーク上で当該動画ファイル(以下「本件動画」)が無断共有されていることを把握しました。
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このネットワークに参加している「ピア」(端末)が、動画ファイルを「ピース」に細分化して一部または全部を保有し、互いにアップロード・ダウンロード(送受信)している事実を根拠に、控訴人はプロバイダ責任制限法5条1項に基づき発信者情報開示請求を提起しました。
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ところが、本件で控訴人が証拠とした通信形態は、ファイルそのもの(ピース)の転送ではなく「UNCHOKE通信」と呼ばれるものが中心でした。UNCHOKE通信は、あるピアがピースをアップロードすることが可能であることを他のピアに通知する段階の通信で、実際にアップロード(PIECE通信)を行う手前のやり取りです。
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原審(東京地方裁判所)は、ピース自体を送受信した証拠が乏しく、かつ該当ピースのみでは動画の再生が困難であることなどを理由に、「送信可能化状態(著作権法2条1項9号の5イまたはロ)を引き起こす行為とはいえない」として控訴人の請求を棄却しました。しかし、知財高裁はこれを取り消し、控訴人の請求を認容するに至りました。
(2) BitTorrentの仕組み
BitTorrentは、大きなファイルを「ピース」と呼ばれる小さな断片に分割し、それらを複数のコンピュータ(以下「ピア」といいます)同士が交換し合うことで、最終的にファイル全体を完成させる方式のファイル共有プロトコルです。以下では、専門用語をできるだけ簡単に説明します。
● ファイルを「ピース」に分割
たとえば動画ファイルなど大容量のデータがある場合、まずは元データを一定サイズごとに細切れにします。これらの断片が「ピース」です。各ピアは、それぞれ必要なピースをほかのピアから受け取りつつ、逆に自分が持っているピースを相手に送る(アップロードする)ことで、全員が効率よくファイルを完成させられるようになります。
● ピア同士が助け合う仕組み
BitTorrentでは、特定の「サーバ」が一方的にファイルを提供するのではなく、ネットワークに参加しているピア同士でピースをやり取りします。誰かがピースを手に入れたら、今度はほかの人にそのピースを送る側に回ることで、全体としてダウンロードを加速させる仕組みです。
● UNCHOKE通信とは?
ピア同士が実際にピースを送受信する前には、互いの状態を知らせ合う準備段階の通信があります。その中の一つが「UNCHOKE(アンチョーク)」と呼ばれる通信です。
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UNCHOKE:自分が相手にピースをアップロードできる準備ができたことを知らせる合図
この合図を受け取った相手は、続いて「どの部分のピースが欲しい」とリクエストし、実際のファイル断片の受け渡しが始まります。
● ピースだけでは再生できない場合も
ピースはあくまで元ファイルの断片なので、それ単体では動画や音声を再生できないことが多いです。たとえば動画ファイルをいくつもの断片に分割した場合、ひとつひとつは一部のデータにすぎないので、それだけを再生ソフトにかけても正常には見られない可能性があります。しかし、すべてのピースが揃えば元のファイルに復元できる仕組みです。
● なぜ「分割」するのか
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同時並行ダウンロードで効率的
ひとつのサーバだけに頼るより、複数のピアから同時にピースを取得したほうがダウンロードスピードが上がる可能性があります。 -
負荷の分散
ファイル全体を所有する大きなサーバがなくても、みんなでピースを持ち合えば全体としてダウンロードが完成します。負荷が分散され、ネットワーク全体で協力し合うイメージです。 -
途中で途切れても再開できる
ダウンロードの途中で通信が切断されても、取得済みのピースは手元に残ります。再度接続すれば続きからダウンロード可能なので、無駄が少なくなります。
3.法的争点
本件の主要な争点は、(1)送信可能化権の侵害が「明白」といえるか、(2)発信者情報の開示対象となる「権利の侵害に係る発信者情報」に該当するか、の2点でした。なお、プロバイダ責任制限法5条1項においては、①権利侵害の明白性と、②「権利の侵害に係る発信者情報」、③開示を受ける正当な理由が要件となっています。
(1) 送信可能化権侵害の明白性
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従来、一部の下級審判決では、ピースが再生不能な状態(つまり表現の本質的特徴を直接感得できない断片)にとどまる場合には、著作権法23条1項でいう送信可能化による権利侵害は成立しないのではないか、とする判断が下される傾向が見られました。
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しかし、本判決では、「ピース自体では動画として再生できずとも、元ファイルの一部を構成し、かつ複数のピースを集積すれば元のファイルに復元・再生し得るシステムの一環として送受信が行われるならば、公衆送信権(送信可能化を含む)の侵害と評価すべきである」と判示しました。
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すなわち、「ピース単体での再生可能性」を求めるのではなく、「システム全体として最終的に著作物に復元し得るデータ送受信行為」であれば、送信可能化権の侵害が成立し得るとしたのです。これは、送信可能化権の立法趣旨(ダウンロードが行われる前段階から権利者を保護する)を重視し、インターネットにおけるデータ分割・暗号化など多様な技術的態様を踏まえた実質的な判断といえます。
(2) 「権利の侵害に係る発信者情報」該当性
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プロバイダ責任制限法5条1項の文言上、開示請求できるのは「特定電気通信による情報の流通」によって侵害された場合に限られます。そして、改正法(令和3年法27号施行)で「特定発信者情報」の概念などが導入されましたが、そこでは「それ自体として権利侵害性のない通信」(たとえばログイン時情報など)を一律に開示の対象にするわけではないという立法趣旨が示されています。
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ところが、送信可能化権は自動公衆送信の準備行為が整った時点で侵害が認められるという特徴をもちます。すなわち、「将来的なダウンロード行為を待つまでもなく、いつでも送信できる状態を招来したこと」が違法状態と評価されるわけです。
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本判決は、UNCHOKE通信それ自体が送信可能化惹起行為(著作権法2条1項9号の5イ・ロ)に該当するわけではないものの、「一度送信可能化がなされてからダウンロードが可能な状態が継続する限り、その違法状態は継続している」という理解を示しました。そして、「UNCHOKE通信によって、ピアがアップロード可能な状態にあることが示された以上、その通信に係る発信者情報は、送信可能化権の侵害に係る発信者情報といえる」と認定しています。
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要するに、本件各発信者が送信可能化を実現したかどうか(送信可能化惹起行為の存在)を通信履歴から直接証明しなくとも、「送信可能化が継続している状態を示す通信」であれば十分に当該侵害行為と関連付けられるとした点が本判決の大きな特徴です。
4.判決の意義・背景・今後の展望
(1) 判決の意義
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ピース単体の再生可能性を要しないと明示
本判決は、動画ファイルがピースや断片として送信される場合であっても、最終的な復元可能性がシステムとして確保されていれば侵害が成立し得る、との判断を示しました。これは、従前の一部下級審判決で見られた「再生可能性重視の傾向」に一石を投じるものであり、BitTorrentなどのP2Pシステムが主流化する中、より実態に即した著作権侵害の認定がなされる方向を打ち出したものといえます。 -
「権利の侵害に係る発信者情報」の解釈を広く捉えた
UNCHOKE通信が送信可能化権侵害の「そのもの」ではないとしても、「送信可能化状態が継続中であることを示す通信」として、その通信に係る発信者情報の開示を認めた点が顕著です。これにより、権利者は監視ソフトウェアの技術的制約等で実際のPIECE通信まで取得できなくとも、開示請求をし得る可能性が広がります。
(2) 背景事情
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BitTorrent関係事件の増加
音楽や映画、アニメなどの著作物がP2Pで違法共有される被害が深刻化するにつれ、権利者側は専門の調査会社を使ってビットトレント上の動きを監視し、特定のハッシュ値を持つファイル(=違法複製物)をアップロードしている発信者の追跡・記録を行うケースが増加しています。 -
専門部の審理状況
東京地方裁判所や大阪地方裁判所の知的財産権専門部では、ファイル容量やピース再生の可否などを重視して請求を棄却する判決が散見されていた反面、本件のように、知財高裁が介入すると判断が覆るという状況が近時報告されています。さらに本判決のほぼ前後で、同じ知財高裁第1部や第2部においても、原審を取り消し、開示請求を認める趣旨の判決が複数出ているという情報も出ており、知財高裁レベルでは権利者保護を重視する方向性が明確化しつつあるようです。
(3) 今後の展望
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未だ一定の相反する見解も残存
現在のところ、原審や他の地方裁判所の専門部には、いまだ「ピース単体で再生できないなら著作物性を感得できず、権利侵害の明白性がない」などと判断する裁判例も存在します。したがって、下級審レベルの判断にブレが残る可能性は否定できません。 -
監視手法の精緻化
一部の権利者は、BitTorrentクライアントソフトで実際にピースをダウンロード・検証し、それを再生できるかどうかまで確認して立証を行うなど、より直接的な証拠収集を行っています。そのようなケースでは、裁判所も比較的容易に公衆送信権侵害を認めやすくなるため、調査会社の手法が「UNCHOKEまで」しか記録しない場合に比べ、主張立証がスムーズになります。 -
侵害抑止と権利保護のバランス
本判決のように権利者保護の観点を重視すると、発信者情報の開示範囲が広がり、訴追リスクが高まることで著作権侵害を一定程度抑止する効果が期待されます。他方、情報発信者側からすれば、自分が保有していたのはごく一部のピースのみで、それだけでは実害を大きく生じさせていないのに、身元を特定されて賠償請求を受ける可能性がある、という懸念も強まるでしょう。最終的には、どこまでを実質的に「侵害行為」とみるかという問題であり、裁判所の判断は今後も蓄積されると考えられます。
5.まとめ
令和6年6月26日の知財高裁判決は、BitTorrent上でピースの送信が行われた場合における送信可能化権の侵害を肯定し、さらに「UNCHOKE通信」を根拠にした発信者情報開示請求を認めた重要な事例となりました。本判決は、ピース単体では再生不能な場合でも、著作物の一部として復元可能性があれば送信可能化権を侵害すると判断した点で、近時の実務を大きく前進させるものと評価できます。
他方で、東京や大阪の地裁レベルでは依然として異なる判断も散見され、BitTorrent事件処理の実務はなお流動的です。もっとも、知財高裁の近時の複数判決を通じてみると、最終的に著作権者側の請求が認められるケースも増えているため、今後の上告審やさらなる高裁判決の蓄積により、最終的には「ピースの再生可能性を問わずに送信可能化権侵害を広く捉える」という流れが定着していく可能性も高いでしょう。
今回の判決は、著作物を取り扱う権利者にとって、BitTorrentなどP2P形式の無断共有に対応する上での大きな武器となる一方、わずかなピースしか保有していなくても違法状態が継続し得る点から、ユーザ側への警鐘にもなっています。権利保護の実効性向上を狙う著作権法23条1項括弧書き(送信可能化)の趣旨が、改めて具体的に確認・示されたと言えるでしょう。
今後もファイル共有システムに関する著作権侵害事例は増え続けるとみられ、今回の判決の影響は少なくありません。特に地裁段階で請求が棄却された類似事件について、知財高裁で再度争われるケースが相次ぎそうです。本判決と同様の論理が積み重なることで、判例法理としてさらに確立されるのか、それとも別の見解が示されるのか、いずれにせよ今後の動向に注目が集まるところです。