
本稿では平成18年6月20日東京地裁判決(平16(ワ)第20620号損害賠償等請求事件・判タ 1242号233頁)について解説いたします。
1 本件の概要と争点
本件は、日本テレビ放送網株式会社(以下原告といいます)が、出版社である株式会社光文社(以下被告といいます)を相手に損害賠償及び謝罪広告掲載を求めた事案です。被告発行の写真週刊誌に掲載された2つの記事(以下本件記事(1)と本件記事(2)といいます)が虚偽の事実を摘示し、原告の社会的信用を著しく毀損したとして、原告が法的救済を求めました。裁判所は最終的に被告に対し、損害賠償金(約440万円)の支払を命じたものの、謝罪広告の掲載請求は棄却しました。この結果、原告は一部勝訴という形になりますが、請求のうち謝罪広告部分は退けられております。
争点は、(1)本件記事(1)および(2)の内容が名誉毀損に当たるか、(2)名誉毀損に当たる場合、その表現行為が公共性・公益目的を有し、かつ真実性または真実と信ずる相当性が認められるかどうか、そして(3)被害を受けた法人である原告の名誉回復措置として謝罪広告掲載が命じられるのか、という点にありました。
2 本件記事(1)と(2)の概要
本件記事(1)とは、被告が発行する週刊誌「FLASH」平成16年1月20日号(同月6日発売)に掲載されたもので、その趣旨は「日本テレビが平成3年に韓国慶州で失踪したAさんについて北朝鮮による拉致の証言を得ていたにもかかわらず、家族にも知らせず隠蔽してきた」というものでした。具体的には「日テレが隠蔽」「なんと家族にも報告せず11年間封印」など、極めて刺激的な見出しが付され、北朝鮮拉致問題への国民的関心が非常に高まっていた時期に、原告があたかも被害者家族をないがしろにしていたとの印象を与える記事内容でした。
他方、本件記事(2)は同誌の翌週発売号(平成16年1月13日発売)に掲載されたもので、前記事実が報じられた後に「原告の広報部は『把握していない』と回答したのに、法務部幹部が慌てて被害者家族に謝罪した」と書かれています。要するに、「社内で回答が食い違い、最終的には非を認めて家族に謝罪した」という印象を読者に与えるものでした。
原告は、いずれの記事も事実無根であると主張し、被告が取材を十分に行わないまま一方的に虚偽の事実を公表したと訴えました。具体的には(1)慶州における取材の時点で「北朝鮮による拉致」を決定づけるような詳細な証言は得られていないし、ましてやそれを隠蔽などしていない、(2)家族への謝罪を法務部幹部が慌てて行ったこともない、という2点を中心に、被告に損害賠償と謝罪広告を求めたのです。
3 名誉毀損に関する法的枠組み
名誉毀損が成立するかどうかの判断基準は、判例により以下のように確立しています。
(1) 問題とされる表現行為が公共の利害に関する事実であるかどうか。
(2) 専ら公益を図る目的でなされた表現かどうか。
(3) 摘示された事実が真実であることの証明があるか、または、真実と信ずるについて相当な理由があるかどうか。
これらの要件を満たせば表現者は責任を負わない場合があるというのが最高裁の立場です(昭和41年6月23日最高裁判決など)。
ただし、仮に真実性や相当性が立証できない場合には、名誉毀損として不法行為が成立し、損害賠償義務を負うことになります。本件もこの枠組みに沿って検討されています。
4 裁判所の判断
(1) 記事の公共性・公益目的について
まず、北朝鮮による日本人拉致問題は当時すでに国民的な注目を集めており、公共性の高い題材であったことは否定できません。また、出版社がこれを報じる行為は国民の「知る権利」に資する側面があるともいえます。裁判所も、被告の記事が取り上げるテーマ自体は社会的関心事だとして、記事内容が公共の利害にかかわることは認めました。
さらに、記者による取材活動が一応行われていた点などから、名誉を毀損する意図のみで書かれた攻撃記事とまではいえず、少なくとも形式的には「公益を図る目的」があったものとして評価しています。ここは原告が「視聴率買収問題など過去のトラブルを列挙し、日テレ批判の連載ばかりを狙っているのではないか」と主張したのに対し、裁判所はそこまで断定的には評価しなかったということです。
(2) 真実性の判断
しかしながら、両記事の核心部分が真実かどうかが問題となりました。裁判所は、まず本件記事(1)の「Aさんが北朝鮮に拉致されたという明確かつ具体的な証言を原告スタッフが得ていながら、それを放送せず隠蔽した」という点に注目し、取材テープなどを精査しています。
結論からいえば、慶州のスナックのマスターが語っていたのはAさんについての「推測」にとどまり、「断定」や「目撃」のような証言ではなかったと認定されました。録音テープにも「具体的な拉致手口を明確に語る場面」はなく、むしろ「あくまでも推測」と受け取れるやりとりしか残っていなかったとされます。さらにプロデューサーやディレクターらからも「隠蔽」などという明確な事実は浮かんでこないため、本件記事(1)が書き立てたような強い断定は真実とは認められないと判断されました。
(3) 真実と信ずる相当性
記事が事実と異なるとしても、取材記者等において「真実と信ずる相当の理由」があれば、過失が否定され、不法行為は成立しません。この相当性があったかどうかをみると、裁判所は、被告の記者が「隠蔽」話の根拠とした探偵(B氏)による証言はもともと不自然な点が多く、裏付け取材の最重要人物である当時の番組ディレクターG氏への確認を断念し、また肝心の録音テープの内容を十分に精査しないまま掲載に踏み切ったことなどを挙げ、相当性を肯定できないと判断しました。
すなわち「B氏が本当にそのような決定的証言を得たのか、それをスタッフが共有したのか、テープがどう録音されているのか」など、慎重に裏付けるべき点は多数あったのに、それらを疎かにしていたと裁判所は批判しています。また、番組の担当プロデューサーが「海外の失踪者を扱う際に、北朝鮮説を裏付ける十分な証拠がなかったため放送で国名を伏せることはあった」という程度の話をしていただけで、記者が主張するような「拉致を知りながら隠蔽した」という断定には踏み込めるだけの材料はなかったとされています。
(4) 本件記事(2)の謝罪事実も虚偽
もう一つ重要なのは記事(2)です。こちらも原告法務部幹部がAさんの家族に謝罪したと書かれていますが、原告は「謝罪は一切していない」と反論しました。裁判所も、謝罪があったとされるタイミングを調べても当事者・報道にそのような記載はなく、裏付ける外部報道もなかったことから、謝罪事実の真実性は認められないと判断しました。そして取材対象である原告幹部やAさん家族に確認せず、被告が一方的に記事にしている点からも、相当な取材を尽くしていたとは認められないとしております。
5 裁判所の結論と賠償額
以上より裁判所は、本件記事(1)および(2)がいずれも名誉毀損に当たると結論づけました。そのうえで、不法行為による損害賠償額として原告に合計440万円の支払を命じています。
内訳は、法人としての名誉や信用が毀損されたことによる慰謝料相当額400万円と弁護士費用40万円で、さらに本件雑誌(2)が発売された平成16年1月13日から支払済みまでの年5分の割合による遅延損害金を付しています。
なお、原告は謝罪広告の掲載も求めていましたが、裁判所はこれを認めませんでした。理由としては(1)すでに記事掲載から2年以上が経過しており、世間の印象も薄れている、(2)原告は大手テレビ局として自ら名誉回復の手段を取ることができる、という点などを挙げ、そこまでして謝罪広告の掲載を要しないと判断しています。
6 検討と意義
(1) 名誉毀損の成立要件の再確認
本件は北朝鮮による拉致問題という公共性の極めて強い素材ではありましたが、報道における真実性あるいは真実と信ずる相当性が確保されていない場合には名誉毀損が認定されることを改めて示しています。とりわけ、具体的で確かな証拠の裏付けが欠けている段階で記事を大きく書き立てるリスクは無視できません。取材先の証言がどれだけ衝撃的であっても、確認作業を怠れば法的責任を問われるという教訓を与えています。
(2) 法人の名誉毀損と賠償
法人の名誉や信用も法的保護の対象になる点は判例法理でも明確です。本件でテレビ局である原告は「報道機関であるだけに、その社会的信用の失墜が会社の存立に影響する」という重要性が裁判所に考慮され、高額賠償が認められたといえます。もっとも、原告が請求した5500万円に比べると440万円は相当額が減じられており、これは「記事に公共性・公益目的がある程度認められること」や「一応の取材活動を行っていたこと」などを斟酌し、無形損害の金額を限定的に評価した結果といえます。
(3) 謝罪広告請求の却下
本件判決の興味深い点の一つに、謝罪広告掲載請求が認められなかったことがあります。実務上、謝罪広告は名誉毀損の事案で請求されることが少なくありませんが、裁判所は慎重です。その必要性が高い場合でなければ認められないとの立場を一貫してとっています。本件でも事件発生から時間が経過しており、加えて原告自身が放送網を持っているという特殊性から「裁判所の判決が出れば十分に名誉は回復できる」と判断されたのです。
7 まとめ
以上のように、本件判決は、公共性の高い報道でも、その取材内容に十分な裏付けがなければ名誉毀損が成立し得ることを改めて示しました。探偵や目撃者など1人の取材先の話を鵜呑みにせず、他の関係者への裏付け取材をきちんと行うことが新聞・雑誌・テレビなど報道に携わる者に求められています。被害者本人や家族への配慮を怠ったまま「衝撃的な話題性」を優先すると、社会的な批判を浴びるのみならず、法的責任を負うリスクがあるのです。
また、法人であっても、その名誉毀損による損害は法的に保護され、相応の金額が認められる場合があります。特に大手マスメディア企業のように、社会からの信用がそのビジネスの基盤である企業にとって、こうした記事による信用毀損は死活問題になりかねないためです。
さらに、謝罪広告掲載請求についても、被害当事者の社会的立場や出来事からの時間経過などを踏まえ、裁判所が慎重に要否を判断することがわかります。本件判決は「自力での名誉回復手段を持ち、また記事掲載から時間がたっている」という事情から謝罪広告を認めませんでした。
本件は平成18年6月20日に言い渡され、その後控訴がなされたといいますが、少なくとも第一審段階では名誉毀損を認めて一部請求を認容しました。北朝鮮拉致問題を扱うという社会的に重大なテーマにおいても、ジャーナリズムには十分な裏付け取材と、取材結果を誤解なく読者・視聴者に伝える慎重さが必須であることを再確認させられる事案といえるでしょう。
本件判決は、報道の自由と名誉の保護という二つの価値の衝突に関する典型例です。一方で、裁判所はメディア側の取材活動を全否定しておらず、一定の努力をしていた点を評価しつつ、それでもなお確認不足であったと厳しく判断しました。このように、記事のテーマが社会的に重要であればあるほど、報道には慎重な姿勢が求められることを示唆しています。今後同種の名誉毀損事例においても、本件が一つの指針となる可能性がありますし、報道機関としても学ぶところが多い判決といえます。
以上が、本件東京地裁判決(平成18年6月20日)の概要と解説です。本件は法人の名誉毀損の成立、真実相当性の判断基準、謝罪広告の必要性など、名誉毀損訴訟における重要な論点を含んでいます。北朝鮮拉致問題という重大テーマを背景としながらも、記事内容の裏付けが不十分であったがゆえに名誉毀損の責任を免れなかったという点が、本件最大のポイントであると思われます。報道が抱える難しさと責任を示す裁判例として、非常に興味深いものといえるでしょう。