近年、YouTubeや各種配信サービスで活動するVTuber(バーチャルYouTuber)は、大勢のファンを獲得する一方で、匿名掲示板やSNS上で過激な誹謗中傷やプライバシー侵害にさらされる事例が増えています。個人や法人の権利を侵害する投稿がなされた場合、被害者(VTuber本人や運営会社など)は「発信者情報開示請求」という手段によって投稿者を特定しようとするわけですが、裁判所がこの請求を認めるかどうかは、複数の要件を総合的に判断する仕組みになっています。その中でも、「同定可能性」と「権利侵害の明白性」という二つの要件は特に大きなポイントとなります。本記事では、この二点を中心に解説していきます。
1.同定可能性とは何か
誹謗中傷やプライバシー漏えいなどのトラブルにおける発信者情報開示請求では、投稿が「誰に向けられたものなのか」が法律上重要です。もし投稿の対象が特定の人物だと認められない場合、その人物が「被害を受けた当事者」と証明できず、不法行為としての請求が成立しにくいのです。これを裁判上、「同定可能性」と呼びます。
具体的には、裁判所は投稿文や周辺の状況を見て、
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投稿の中に被害者の実名やハンドルネーム、あるいはキャラクター名などが示されているか
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周辺の投稿やスレッドタイトル、あるいは話題の流れによって、投稿の対象人物が誰なのかが特定されるか
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第三者が普通に読んだ場合、その投稿は「明らかに○○(被害者)を指す」と判断されるか
などを総合的に検討して、「この投稿のターゲットは原告(VTuberや運営事務所)だ」と認定できるかどうかを決めます。VTuberの場合、活動名がキャラクター名であっても、スレッドタイトルなどで「○○(VTuber名)」の動向を話題にしているなら、そのキャラクター=演者本人を指すと裁判所が判断するケースが多いです。
2.「同定可能性」が否定される場合
もし投稿の表現が抽象的で、「誰に向けたものか分からない」「漠然とした不満を言っているだけ」などと読める場合は、被害者が「これは自分への誹謗中傷だ」と主張しても、裁判所が認めない可能性があります。また、たとえば VTuber が複数人いるスレッドで「この中の誰かを指しているのか明確でない」など、文脈上ターゲットを特定しにくい投稿の場合は「同定可能性なし」となりやすいのです。
判決文によっては「前後の投稿を見ても、この『ガイジ』という言葉が誰を指しているか分からない」などの表現があり、結果的に開示請求が棄却される例があります。つまり、裁判所は投稿の一部だけを見るのでなく、スレッド全体の文脈や話題の流れを踏まえて、「対象人物が原告と明確に分かるか」を厳しくチェックするのです。
3.権利侵害の明白性とは?
権利侵害の明白性とは、投稿による名誉感情やプライバシーといった権利が、「誰の目にも明らかに侵害されている」といえるほど強い違法性を帯びているかを指す基準です。裁判所は、以下のような表現・場面で権利侵害を肯定しやすいといえます。
(1) VTuberへの過度な侮辱・差別的表現
いくつかの判決例の中では、たとえば「仕方ねぇよバカ女なんだから 母親がいないせいで精神が未熟なんだろ」という投稿が問題となり、裁判所は「社会通念上許される限度を超える侮辱」として名誉感情侵害を認め、発信者情報の開示を許可しています。
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「バカ女なんだから」「母親がいないせいで精神が未熟」といった言葉により、人物の人格を一方的に否定し、誹謗する表現は、誰が見ても攻撃性が高いと評価されやすいのです。
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また、「母親がいない」という個人的事情を持ち出すことで、単なる批判ではなくプライバシーにも踏み込む侮辱として違法性が強いとみなされました。
(2) 「ガイジ」という差別的語句の使用
VTuberや同人ゲームの作者らが対象となった事例の判決では、「作者がガイジだけど世間一般にはVがガイジってことになるんか?作者だよな?」といった表現が取り上げられました。
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「ガイジ」は障害者を差別・揶揄するきわめて強い侮蔑表現として知られ、裁判所は「きわめて差別的かつ侮辱的で、社会通念上許される範囲を超える」と厳しく指摘する傾向にあります。
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特に、単なる意見や批評の域を超え、対象を「人として見下す意図が明確だ」と判断されると、発信者情報開示が認められる事例が多いといえます。
(3) 暴力・脅迫的な表現
いくつかの判決例では、「こいつの息の根は止めてやる」のような記載が問題視され、強い恐怖感や危害の示唆を与えるとして違法性が高い表現だと認定されました。
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ここで裁判所は、「投稿が単なる悪口を超えて、当該VTuberの活動継続や身体安全を脅かすレベルの恐怖心を与える恐れがある」とみなし、発信者情報を認める理由に挙げています。
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この種の表現は脅迫まがいとして違法性が明確になるため、「明白な権利侵害」と判断されやすいです。
(4) 非公開情報の暴露や人格侵害
判決によっては、VTuber本人が非公開としている本名や個人的背景を断定的に書き込む投稿が、「プライバシー権をはっきりと侵害するもの」とされます。前述の例でも「母親がいない」という事実をからかう文脈が描かれていましたが、家庭環境など本来公開していない情報を晒す行為は、名誉感情と合わせてプライバシーへの侵害も「明白」と判断されやすいでしょう。
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VTuber 演者が全く情報公開していない要素(年齢、住所、家族構成など)を投稿された事例では、ほぼ例外なく「プライバシー侵害の明白性」を認め、発信者情報を開示する方向で判断が下されています。
「明白な侵害」の判断の流れ
1. 投稿の文言を直視
裁判所は、投稿にどのような語句が用いられ、どれほど侮辱性や攻撃性が強いかをまず確認します。
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「バカ女」「ガイジ」「息の根を止めてやる」といった強い文言を使っているか
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ターゲットを著しく見下す、脅す、差別するようなニュアンスがあるか
2. 文脈(スレッドの流れ・周辺投稿)
次に、投稿がどのような流れの中で行われたかを重視します。
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前後の投稿やスレッドタイトルで「○○(VTuber名)」を話題にしている
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ターゲット(原告)について集中的に中傷する文脈がある
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本人が公表していないプライバシー情報を繰り返し指摘
3. 違法性阻却事由がないか
投稿が公益目的での真実性の指摘や、正当な批評かどうかを確認します。たとえば、公共の問題を論じる言論の場合には名誉毀損や侮辱が否定される可能性がありますが、VTuber 関連の誹謗中傷例では、そうした公益目的がほとんど見当たらず、裁判所が違法性を否定する事例は稀といえます。
結論:強い侮辱やプライバシー暴露は「明白性」あり
事例として挙げた「仕方ねぇよバカ女なんだから」「作者がガイジだけど世間一般にはVがガイジ~」「こいつの息の根は止めてやる」等の表現は、いずれも裁判所が「社会通念上許される限度を明らかに超えた侮蔑・脅迫・差別」と評価しやすいものです。そうした投稿が特定のVTuber(あるいは“作者”などの肩書で活動する個人)に向けられていると認められれば、発信者情報開示の要件となる「権利侵害の明白性」が満たされると判断されます。
このように、VTuberをめぐる誹謗中傷事件では、投稿表現が「誰がどう見ても攻撃的かつ違法なレベル」に達しているか否かが一つのカギであり、裁判所は投稿の内容と文脈を細かく検証したうえで「明白な侵害」とみなすと、発信者情報開示を認めることが多いのです。
4.まとめ:投稿表現が「明白な侵害かどうか」を見極める裁判所の視点
裁判所は、発信者情報開示を認める際、投稿が
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誰を対象とするかが明確に分かる(同定可能性)
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その内容が“侮辱・脅迫・プライバシー暴露・著作権侵害”など、社会通念上明らかに違法なレベルに至るか(明白性)
この二つを重点的にチェックします。実際の訴訟例では、以下のような表現が「明らかに権利侵害だ」と判断された典型です。
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「バカ女」「ガイジ」「母親がいないから精神未熟」「息の根を止めてやる」→ 人格否定や脅迫、または差別発言の度合いが非常に強い。
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非公開本名・住所等を晒す → プライバシーを深刻に侵害する。
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二次創作ガイドラインを無視して演者を自殺配信キャラに仕立てた → 著作権とキャラクターのイメージを毀損。
こうした表現は「単なる感想や意見表明の域を超えている」または「私生活の安全や人格を直接脅かす」とみなされるため、裁判所が「明白な権利侵害だ」と認め、発信者情報開示が許されることが多いのです。
4-1 原告側(VTuber や事務所)への示唆
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証拠保全
「同定可能性」を具体的に示すためには、スレッドタイトル・周辺投稿・会話の流れなど、スクリーンショットやログをしっかり保全し、裁判所に「こう読めば○○(被害者)だと分かる」と説明できるようにすることが大切です。 -
侵害の明確化
単なる意見表明や感想ではなく、どういう点で人格を否定されるほどの侮辱か、またはどういう私生活情報を晒されたか、具体的に伝える必要があります。
4-2 投稿側(見る側)への注意
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自分が「ただの冗談」と思って書いた投稿でも、文脈次第で「これは○○(VTuber)に向けられている」と判断され、名誉感情を著しく害する表現なら「開示相当」とされるリスクがあります。
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匿名だからと安心せず、言葉選びには十分気をつけましょう。
終わりに
VTuber などのネット配信者は、バーチャルキャラを身にまとっているとはいえ、実際の演者の人格や名誉・プライバシーは法的にしっかり守られるべきものです。投稿者に「自分の狙った相手が分かる形」で強い侮辱・脅迫を行ったり、私生活情報を暴露したりすれば、裁判所は「同定可能性」「権利侵害の明白性」があると判断し、発信者情報の開示を認めやすくなります。
ネット上の発信は気軽に見えますが、実際には法的リスクが伴い、被害者が裁判所を通じて投稿者特定に成功し、損害賠償請求につながる可能性も十分考えられます。
もし被害に遭ってしまった場合、スクリーンショットの保存など早めの証拠保全と、弁護士など専門家への相談が大切です。一方で、発信する側も、誹謗中傷を行わないことはもちろん、誤った個人情報流出などを招かないよう十分留意することが求められます。