

「思っていたより、ずっと少なかった」——その違和感の正体
SNSで誹謗中傷を受け、心身ともに削られながら、弁護士に依頼し、発信者情報開示請求を経てようやく裁判で勝訴した。判決で認められた慰謝料は——30万円。
「これだけ?」と感じる方は少なくないでしょう。実際、被害者の代理人を務める弁護士の多くが「ネット名誉毀損の慰謝料は低すぎる」と訴え続けてきました。
そして令和8年4月、ついに法務省民事局自らが、この問題に正面から向き合った調査結果を公表しました。それが 「インターネット上の名誉権侵害等の損害賠償額等に関する調査報告書」(報告書本体PDF)です。
裁判例203件を一つひとつ精査し、ネット上の名誉毀損で実際に裁判所が認めた慰謝料額の「実態」を統計的に明らかにしたこの報告書は、被害者・代理人弁護士・プラットフォーム事業者、そして立法・裁判実務に大きな問いを投げかけています。
この記事では、報告書の核心となるデータを読み解きながら、「ネット誹謗中傷の慰謝料はなぜ低いのか」「これからどう変わり得るのか」を解説します。
なぜ法務省が「慰謝料額」を調べたのか
そもそも、名誉毀損や名誉感情侵害といった人格権侵害は、民法709条に基づく不法行為として損害賠償の対象になります(民法は私人間のルールを定める基本法です)。被害者は、傷つけられた精神的苦痛に対する慰謝料(精神的損害の金銭的補填)を加害者に請求できます。
しかし近年、特にインターネット上の誹謗中傷について「判決で認められる慰謝料額が低すぎるのではないか」という指摘が、実務家や被害者から繰り返し上げられてきました。日本弁護士連合会は令和4年9月16日に 「慰謝料額算定の適正化を求める立法提言」 を公表し、「セクハラ・パワハラ、DV・ストーカー、性暴力、いじめ・虐待などの被害において慰謝料額が不十分であることは、代理人弁護士のほとんどが共有している認識である」と述べています。
こうした問題提起を受け、法務省民事局は、日本弁護士連合会民事司法改革総合推進本部所属の弁護士の協力を得て、令和6〜7年度にわたり調査を実施しました。
ターゲットとなったのは、比較分析しやすく公刊裁判例が豊富な「インターネット上の誹謗・中傷事案」。ここを切り口に、慰謝料額の実態を可視化することが目的でした。
調査はどう行われたのか
報告書は、「すべての裁判例の傾向」を直接表すものではないと自ら断っていますが、それでも統計的に意味のある規模で次のように設計されています。
- 対象期間:①令和4・5年(最近)と、②平成24・25年(約10年前)を抜き出し、ネット環境の変化を時系列で比較できるようにした
- 抽出条件:民間の裁判例データベースで、「損害賠償請求事件」「慰謝料」「名誉」のキーワードを掛け合わせて検索し、プライバシー・私生活関連を除外
- 分類:権利侵害行為の媒体に応じて、主にネット上の事案=別表Ⅰ(118件)と主にネット以外=別表Ⅱ(85件)に振り分け、計203件を分析
ポイントは、「請求額」ではなく「実際に裁判所が認容した慰謝料額」を分析対象にしたこと。「被害者が望んだ金額」ではなく、「裁判所が認めた現実の金額」が直視されています。
衝撃の核心データ:ネット事案の「3割超が30万円未満」
報告書のなかで最もインパクトがある数値は、認容された慰謝料額の分布です(図1)。

別表Ⅰ(ネット上)と別表Ⅱ(ネット外)を比較すると、明らかな格差が浮かび上がります。
- ネット事案では、30万円未満が46.6%(118件中55件で、ほぼ半数)。とくに「10〜30万円未満」が40.7%を占める
- 一方、ネット外事案では、30万円未満は29.4%にとどまる
- 200万円以上の比較的高額帯は、ネット事案ではわずか 3.3%(4件)。ネット外事案では 21.2%(18件)と、6倍以上の開き
数値で示せばこういうことです。
| 価格帯 | ネット上(別表Ⅰ) | ネット外(別表Ⅱ) |
|---|---|---|
| 10万円未満 | 5.9% | 9.4% |
| 10〜30万円未満 | 40.7% | 20.0% |
| 30〜50万円未満 | 19.5% | 24.7% |
| 50〜100万円未満 | 17.8% | 10.6% |
| 100〜150万円未満 | 11.9% | 10.6% |
| 150〜200万円未満 | 0.8% | 3.5% |
| 200〜250万円未満 | 0.8% | 14.1% |
| 250万円以上 | 2.5% | 7.1% |
ネット事案では、慰謝料が「30万円台に山を作る」ような分布になっており、新聞・雑誌など従来型マスメディアの分布とは明確に異なっています。
ちなみに平均値でみると、ネット上は 47.0万円、ネット外は 88.8万円。約2倍の差です。
媒体別に見ると、もっと細かな格差が見えてくる
報告書はさらに、媒体を細かく分類して分析しています(図2)。

主な媒体別の平均値・中央値(万円)は次のとおりです。
| 媒体 | 件数 | 平均値 | 中央値 | 最大値 |
|---|---|---|---|---|
| 新聞 | 6 | 159.2 | 65.0 | 600.0 |
| 雑誌 | 10 | 159.0 | 200.0 | 300.0 |
| その他マスメディア(TV等) | 4 | 168.8 | 85.0 | 500.0 |
| Twitter(X) | 34 | 54.4 | 32.5 | 250.0 |
| 電子掲示板(爆サイ) | 3 | 60.0 | 50.0 | 100.0 |
| 電子掲示板(5ちゃんねる等) | 14 | 27.1 | 22.5 | 100.0 |
| 3 | 23.3 | 20.0 | 30.0 | |
| YouTube | 1 | 100.0 | — | — |
| ブログ・文章投稿サイト | 6 | 40.0 | 35.0 | 100.0 |
注目すべきは、ソーシャルメディアの慰謝料額は、平均でマスメディアの約3分の1にとどまっているという点です。
報告書は、その理由について次のような裁判例の言及を紹介しています(一部要約)。
「ツイッターの投稿の信用性はアカウントの属性によって様々である。本件投稿は……素性が不明の匿名アカウントからされたもので、内容の根拠も不明なことから、閲覧者の多くがその内容が真実であると容易に信じるものとは認め難い」(I-91)
「本件掲示板は……匿名で投稿者の個人的認識を一方的に記載し、対象者を誹謗中傷するような投稿が複数されている信憑性が低い電子掲示板であるという前提で閲覧されているものと考えられる」(I-61)
つまり、裁判所は「ネット投稿は信用性が低い→社会的評価への打撃も小さい」という論理で、ネット事案の慰謝料を抑える傾向にあるということです。
ただ、ネット事案の中でも例外があります。爆サイ.comの3件は平均60万円、Twitterの一部(フォロワー数の多いアカウント)は250万円まで認められた例があります。「媒体そのもの」ではなく、「誰がどう投稿したか」が決定要因となる側面もあるのです。
「いくら増えるか、いくら減るか」——増額・減額要素の体系化
報告書のもう一つの大きな貢献は、判決で言及された増額要素・減額要素を類型化して集計したことです(図3)。

増額要素ランキング(203件中の登場割合)
- 不特定多数の者が認識した/し得た(33.0%)
- 表現内容の権利侵害性が強度・悪質(30.5%)
- 社会的評価の低下(の可能性)が大きい(20.7%)
- 精神的苦痛が大きい(11.8%)
- 生活や仕事への具体的な支障が発生した(10.3%)
- 侵害行為の回数が多い(9.9%)
減額要素ランキング
- 内容に具体性がない(8.9%)
- 謝罪・事後的対応がある(7.9%)
- 不特定多数の者が認識していない(6.9%)
- 社会的評価の低下が大きくない(6.9%)
- 表現内容の権利侵害性が強度・悪質でない(5.4%)
このリストは、被害者・代理人にとっては「主張すべき事実の地図」、加害者側にとっては「反論の引き出し」として実務的に極めて有用です。
特に印象的なのは、「侵害行為の回数」が決定的な因子になっていることです。報告書は、回数別の平均慰謝料額を分析し、ネット上では、投稿回数が多いほど慰謝料も明確に増加することを示しました。最高額を獲得した事案【I-90:349万円】では、1,000回超もの投稿が認定されています。
逆に、たった1回の投稿で訴訟になった場合は、低額にとどまる傾向が示されています。
「拡散」をどう数値化するか——フォロワー数とリポスト数
報告書の特に新しい視点は、SNSにおける「拡散の程度」の数値化です。
ネット事案では、判決書のなかでフォロワー数やリポスト数を具体的に挙げ、これを増額要素として考慮した裁判例が一定数存在することが確認されました。
たとえば【I-117】では、フォロワー数 80万人超の美容外科医がTwitterで7投稿を行ったケースについて、社会的影響力と拡散力が大きいとして 250万円 の慰謝料が認められています。
また【I-54】では、3万人以上のフォロワーを持つ弁護士のツイートが、「不特定多数の者に対し公開され」たことが考慮されました(ただし内容は短く、慰謝料は3万円)。
逆に、フォロワー数が少ない/非公開アカウントであれば、拡散が小さいとして減額方向に働くこともあり得ます。「数字で見える社会的影響力」が、慰謝料算定の現実的な指標として裁判実務に定着しつつあることが、この報告書から読み取れます。
名誉権侵害と名誉感情侵害の違い——慰謝料は約3倍違う
法律論として重要なのが、名誉権侵害と名誉感情侵害の区別です(図4)。

- 名誉権侵害:「人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価」を低下させる行為(北方ジャーナル事件・最大判昭和61年6月11日)
- 名誉感情侵害:「社会通念上許される限度を超える侮辱行為」(最判平成22年4月13日)
要するに、「外部評価への打撃」が名誉権侵害、「本人のプライドへの打撃」が名誉感情侵害。刑事に置き換えると、前者は名誉毀損罪(刑法230条)、後者は侮辱罪(刑法231条)に対応する関係にあります。後者は「バカ」「クズ」といった罵詈雑言型のケースに多く見られます。
報告書は、両者の慰謝料額を比較しています(万円)。
| 被侵害利益 | 件数 | 平均値 | 中央値 |
|---|---|---|---|
| 名誉権侵害のみ | 111件 | 74.7 | 30.0 |
| 名誉権+名誉感情 | 28件 | 44.1 | 26.5 |
| 名誉感情侵害のみ | 16件 | 21.6 | 12.5 |
名誉権侵害は、名誉感情侵害の3倍以上の慰謝料が認められる傾向があります。つまり「単に侮辱された(罵倒された)」より、「具体的な事実を摘示されて社会的評価を下げられた」ほうが、はるかに大きな金額となるのです(なお、その事実が真実か否かは慰謝料額の問題ではなく、被告側の真実性・相当性の抗弁の問題として別途検討されます)。
これは、被害者側として訴訟戦略を組み立てる際の重要な指針となります。「具体的な事実摘示」を伴う投稿があれば、名誉権侵害として構成できないかを検討することは、慰謝料額を引き上げる第一歩です(名誉毀損の成立要件と真実性・相当性の抗弁については、判例から学ぶ名誉毀損・真実性・相当性の完全ガイドもあわせてご覧ください)。
発信者情報開示費用——どこまで認められるのか
ネット誹謗中傷事件の特徴は、発信者情報開示請求(プロバイダ責任制限法)が訴訟の前提となること。この開示請求にかかった弁護士費用を、被害者は加害者に請求できますが、報告書はこの認容状況も分析しています(発信者情報開示請求の費用相場についてはこちらの記事で詳しく解説しています)。
35件中、
- 全部認容(実支払額そのまま):10件(28.6%)
- 一部認容:21件(60.0%)
- 弁護士費用の認定額において考慮:1件(2.9%)
- 棄却(全部):3件(8.6%)
つまり、「実際に払った費用がそのまま認められる」のは3割未満。多くのケースで一部だけが認められています。
しかも、慰謝料額が低い事案ほど、開示費用も削られる傾向にあります。例えば、慰謝料30万円未満の事案では、開示費用の全部認容率は わずか11.8%。慰謝料50万円以上では 75.0% にまで上昇します。
この点は、被害者にとって極めて切実な問題です。「勝訴したのに、実費すら回収できない」というアンバランスは、結果として被害者の泣き寝入りを促す圧力になります。報告書がこのデータを示したこと自体に、改善への問題提起の意図が読み取れます。
報告書が示した7つの結論
報告書末尾の「総括」では、次のポイントが整理されています(要約)。
- ネット誹謗中傷の裁判例件数は、この10年で増加し、SNSや書面型が中心化した
- 高額認容例は専らマスメディア(新聞・雑誌等)、増額要素を多く含む
- 認容額は、マスメディア>ネット媒体。ネットの慰謝料は相対的に低い
- 名誉権侵害>名誉感情侵害(慰謝料額)
- 政治家・芸能人>一般人、報道機関>個人(ただし媒体の影響大)
- 犯罪事実の摘示は増額要素として重要
- ネットでは投稿回数が多いほど高額に
これは「現状の事実認識」をフラットに整理したものですが、行間からは 「ネット事案の慰謝料は他の媒体より相当低額にとどまっている」 という問題意識が明確に読み取れます。
この報告書をどう実務に活かすか
被害者・代理人弁護士の視点では、報告書は次の意味を持ちます。
- 主張すべき増額要素のリストとして使える(「不特定多数性」「悪質性」「社会的支障」「投稿回数」「拡散の程度」)
- 名誉権侵害として構成できる事実があれば、必ず指摘する(名誉感情侵害だけでは安くなる)
- フォロワー数・リポスト数を立証して「拡散の程度」を主張する
- 発信者情報開示費用は社会通念上相当な範囲で請求する
プラットフォーム事業者・企業の視点では、
- 削除依頼・任意対応をどう設計するかを考える指針になる(謝罪・事後対応は減額要素)
- 被害者からの開示請求対応を改めて点検する材料となる
そして社会全体の視点では、この報告書は 「ネットでの名誉毀損は安く済む、というメッセージを変える」 ための立法・運用改善の起点になり得ます。慰謝料相場が低いことは、抑止力の弱さそのものであり、結果として被害が再生産される構造を許してしまいます。
まとめ——「30万円の壁」はこれから動くか
法務省民事局のこの調査報告書は、業界内で長らく「肌感覚」として共有されていた問題——ネット誹謗中傷の慰謝料は低額にとどまる——を、初めて公式の統計データで裏付けた歴史的な文書です。
ポイントは3つ。
- ネット事案の約半数(46.6%)が30万円未満という、被害者にとって厳しい現実が公式に確認された
- 媒体別・被害者属性別・侵害行為の回数別など、慰謝料額に影響を与える要素が体系的に整理された
- 発信者情報開示費用も慰謝料額に連動することが示され、被害者の実費回収の難しさが浮き彫りになった
報告書自体は「現状の整理」にとどまり、立法提案や運用改善の具体的指示はありません。しかし、これだけのデータを法務省自身が公表した意味は重く、今後の議論——慰謝料算定基準の見直し、損害賠償命令制度の拡充、開示請求コストの転嫁ルール——に大きな影響を与えると見られます。
被害に遭われた方、その代理人を務める方は、この報告書を「主張・立証の地図」として活用することで、「これくらいでしょう」とされてきた慰謝料の枠を押し広げる戦いに踏み出せるかもしれません。
誹謗中傷の被害でお困りの方へ
「30万円の壁」をどう超えるか――それは、被害状況と立証戦略次第で大きく変わります。本記事で紹介した増額要素(拡散の程度、悪質性、社会的支障、投稿回数等)を漏れなく主張・立証することが、慰謝料額を引き上げる第一歩です。
虎ノ門法律特許事務所では、ネット誹謗中傷・名誉毀損の被害について、発信者情報開示請求から損害賠償請求まで一貫してサポートしています。早期相談ほど投稿の保全(スクリーンショット、ログ)や開示請求のタイミングで有利に動けます。匿名掲示板への投稿でお困りの方は、ホスラブ誹謗中傷対策 実務ガイドも参考にしてください。
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出典・参考資料
- 法務省民事局「インターネット上の名誉権侵害等の損害賠償額等に関する調査報告書」(令和8年4月)
- 報告書本体PDF(5.6MB、75頁)
- 掲載ページ(法務省民事局)
- 日本弁護士連合会「慰謝料額算定の適正化を求める立法提言」(令和4年9月16日)
- 北方ジャーナル事件・最大判昭和61年6月11日民集40巻4号872頁
- 最判平成22年4月13日民集64巻3号758頁
- 最判平成9年5月27日民集51巻5号2024頁
*本記事は法的アドバイスを提供するものではなく、一般的な情報提供を目的としています。具体的な法律問題については、弁護士にご相談ください。*


