「同定可能性」とは

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弁護士大熊 裕司
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はじめに

インターネット上の書き込みにより、誹謗中傷やプライバシーの侵害といった問題が生じるケースは年々増加しています。いざ自分が被害に遭ったとき、「これを削除させたい」「投稿者の情報を開示してほしい」と思っても、法的手続きをスムーズに進めるためにはいくつかの要件を満たしている必要があります。その中でも重要な要件の一つが、「同定可能性」です。

たとえば、書き込みで悪口を言われていたとしても、投稿のなかに実名が書かれていなかったり、漠然とした表現しかされていなかったりすると、「その被害者が誰を指しているのか」が特定できない場合があります。名誉毀損やプライバシー侵害が成立するためには、書き込みの対象が自分自身であること、すなわち同定可能性を満たすことが必要になるのです。本記事では、この同定可能性について、裁判例や実務上の取り扱いを交えながら、分かりやすく解説していきます。

1.同定可能性の基本的な考え方

1-1. 「誰のことか分かるか」がポイント

同定可能性とは、「ある書き込み(投稿・記事など)における表現が、特定の個人を指していると第三者が認識し得る状態」を指します。たとえフルネームが書かれていなくても、肩書・居住地・勤務先・芸名や源氏名・ハンドルネーム等、何らかの事情を総合すれば「これは○○さんのことだ」と分かる場合には、同定可能性が肯定されやすくなります。

一方で、「匿名の投稿だし、実名を全く書いていないから大丈夫」と思っていても、その人物が特定される手がかりが投稿中や周辺投稿に含まれていれば、同定可能性が認められることがあります。つまり、単に名前を伏せるだけで権利侵害を回避できるわけではない点に留意が必要です。

1-2. “周囲の人”にとって分かるかどうか

裁判所は、同定可能性を判断する際、「一般の不特定多数が分かるかどうか」ではなく、「被害者の周囲の人にとって、投稿内容がその人物を指していると分かるかどうか」を基準にする、という考え方を示しています。
たとえば、全国的には無名な方であっても、その地域の人や同じ職場の人、あるいはファンコミュニティの仲間などが読めば、「これはAさんのことだ」と容易に推測できるのであれば、同定可能性が肯定される場合があります。

2.同定可能性が問題となるケース

2-1. 実名が書かれていない場合

もっとも多いパターンが、書き込みに実名が登場しないケースです。たとえば、下記のような書き込みがなされたとします。

「A美容院の店長ってホント最悪。予約すっぽかすとか平気でやるし、態度が横柄でムカつく。」

この場合、投稿にはフルネームどころかイニシャルすら書かれていません。しかし、当該美容院を日頃から利用している人や、その地域で評判を知っている人にとっては、「あの店長さんのことだろう」と想像できるかもしれません。ここでポイントとなるのが、「当該店長を特定するに足る情報が、書き込みやその前後の文脈に含まれているかどうか」です。店の名称や所在地、特徴的な出来事が記載されていれば、同定可能性は認められる可能性があります。

逆に、まったく無関係な人からすれば、その美容院がどこなのか分からず、店長が誰であるかも想像できないでしょう。しかし、同定可能性の判断は、必ずしも“全国の一般人”の視点だけではなく、“当該人の周辺者”がその投稿を読んだ場合に「誰のことか分かるか」が重視されます。したがって、相当程度の絞り込みができるような情報が含まれていれば、名誉毀損やプライバシー侵害として問題となり得るのです。

2-2. 芸名・源氏名・ハンドルネームの場合

芸能活動を行う人が、本名ではなく芸名を使用している場合や、接客業などで源氏名を名乗っている場合、あるいはSNS等でハンドルネーム・アカウント名を使用している場合も少なくありません。このようなケースでも、その芸名やハンドルネームが周囲に広く知れ渡っているのであれば、現実の人物と結びつけて認識される可能性が高まります。

また、SNS上でハンドルネームのみが記載されている投稿でも、プロフィール写真や職業・居住地などのヒントが含まれていたり、過去の投稿履歴から本人の素性が類推できたりすれば、周囲の人には「あの人のことだ」と分かってしまう場合があります。そのため、SNS上では匿名を装っていても、同定可能性が問題になるケースは決して少なくありません。

2-3. 同姓同名・漠然とした肩書のみの記載

反対に、複数の人物に当てはまる可能性が高い記載しかない場合、同定可能性が否定される余地もあります。たとえば、「東京都内で働く20代のOL」といった内容だけでは、同じような条件の方が無数にいるため、特定の個人を指すとはいえないでしょう。
また、同じ職場・役職に同姓同名の人物が複数いる場合には、どの人を指しているか判別できないため、最終的に同定可能性が否定される可能性があります。さらに、ネットスラングやあだ名のみの書き込みで、「複数の人が同じあだ名で呼ばれている」などの事情があるときも注意が必要です。

3.同定可能性を肯定するうえで考慮される事情

同定可能性の有無は、最終的には裁判所が総合的に判断することになります。実務上、裁判所が考慮するとされる代表的な事情は以下のとおりです。

  1. 書き込みに登場する肩書や所属先の情報

    • 会社名・店舗名・所属事務所名などが具体的に記されているか。

    • 「○○県○○市にある□□病院の院長」など、当該地域で周知の立場や役職が明示されているか。

  2. 芸名・源氏名・ハンドルネームの周知度

    • 当該名義がどの程度の範囲で浸透しているのか。

    • 現実社会とネット上の両方で使われており、周囲の人が「本人の別名」として認識しているかどうか。

  3. 書き込みの前後にある関連投稿・リンク

    • 問題の投稿以外にも、同一人物を対象としていると思われる記事・コメントが複数存在し、そこに追加の個人情報が書かれていないか。

    • 他の投稿へのリンクやプロフィール情報などが繋がっており、結果的に対象人物を特定するに至る材料を周囲が得られるかどうか。

  4. 被害者の周囲が把握している事情

    • 一般の不特定多数にとっては分かりづらくても、被害者の交友関係や近隣住民などが読めば「○○さんだ」と認識し得る具体的なエピソードが含まれているか。

4.同定可能性が認められるとどうなるか

4-1. 名誉毀損・プライバシー侵害の成立可能性

同定可能性が肯定されると、投稿者(発信者)が名誉毀損やプライバシー侵害を行ったと認定される可能性が高まります。これは、権利侵害を主張するための重要な前提要件だからです。

  • 名誉毀損
    「事実を摘示」して、公然と他人の社会的評価を低下させる表現が問題となります。同定可能性があれば、被害者個人の名誉が傷つけられたという評価に繋がります。

  • プライバシー侵害
    氏名・住所・病歴・プライベートな交友関係など、本来秘匿されるべき情報を暴露された場合も、個人を特定できる情報であるほどプライバシー侵害となりやすいです。

4-2. 削除請求・発信者情報開示請求が進めやすくなる

同定可能性が認められると、プロバイダ責任制限法等にもとづく削除請求や発信者情報開示請求が通りやすくなる傾向があります。なぜなら、「この書き込みによって、特定の被害者が名誉毀損やプライバシー侵害を受けている」という構図が法律上明確になるためです。

  • 削除請求
    たとえばSNS運営会社やプロバイダ事業者に対し、書き込みの削除を求める際、同定可能性が立証されていると「被害者の個人が特定されているため、権利侵害の危険が現実化している」という主張がより説得的になります。

  • 発信者情報開示請求
    投稿者を特定し、損害賠償などの法的措置を講じたい場合、まずは投稿者の情報(IPアドレスなど)を開示してもらう必要があります。この手続でも「具体的に誰を指しているのか」を明らかにし、名誉毀損・プライバシー侵害などの要件を満たすことを示す必要があるのです。

5.同定可能性をめぐる裁判例の概観

実務上、フルネームが記載されていない場合でも「○○会社の社長」「△△病院の院長」「被害者が過去に使っていた芸名と似た表現」といった内容が含まれていれば、同定可能性が肯定された例が存在します。
また、SNS上での誹謗中傷事案では、ハンドルネームだけでなく、アイコンやプロフィール写真、リンク先の投稿情報などが複合的に考慮され、「一般人でも一定の知識があれば容易に被害者と結びつけられる」と判断されたケースもあります。

6.同定可能性を立証・否定するためのポイント

6-1. 立証する側(被害者側)からみた注意点

  • 事前・事後の投稿を収集しておく
    問題の書き込みだけでなく、その前後にある関連投稿やSNSプロフィール、リンク先などを含めて整理し、「投稿全体の文脈から、どのように被害者が特定されるか」を示すことが重要です。

  • 被害者を指すと認識可能な固有情報を具体的に列挙する
    肩書・勤務先・居住地・年齢・趣味など、複数の要素を組み合わせると一意に特定される可能性が高まります。それらを一覧にし、裁判所に説明することで、同定可能性が認められやすくなります。

6-2. 否定する側(投稿者側)からみた注意点

  • あくまで一般的・漠然とした表現にとどめる
    個人を特定しうるような具体的情報(企業名、役職、写真、交友関係など)を記載していると、同定可能性のリスクが高まります。

  • 複数の人物に該当しうる表現だと示す
    同性同名の例や、属性を共有する人が多数いることを立証すれば、同定可能性が否定されるケースもあります。しかし、実務的には、「周囲の人が誰のことか察するレベル」まで達していると判断されると、名誉毀損などが成立しうる点には注意しなければなりません。

7.まとめと実務上のアドバイス

  1. 同定可能性の要

    • フルネームかどうかではなく、「周囲が誰のことか分かる情報が揃っているか」がポイントです。

    • ハンドルネームや芸名でも、周辺情報と合わせて「この人だ」と分かる場合は同定可能性が認められます。

  2. 名誉毀損やプライバシー侵害の成立要件として重要

    • どれだけ過激な誹謗中傷であっても、対象が特定できなければ権利侵害にはなりません。

    • 逆に、対象が明確になれば削除請求や情報開示請求を行いやすいです。

  3. 投稿前後の文脈や他の投稿との関係も吟味される

    • 問題の書き込み単独では分からなくても、前後の投稿やリンク・プロフィール情報などと総合すると個人が特定される場合があります。

    • 裁判所は、断片的な情報を合わせて「周辺者なら分かる」かどうかを総合判断します。

  4. 被害者側は証拠収集を徹底する

    • 関連投稿の保存や、被害者がその属性を周囲からどう認識されているかの説明などが必要です。

    • 書き込みの画面キャプチャだけでなく、リンク先やプロフィールのスクリーンショット、ウェブ魚拓なども取得しておくとよいです。

  5. 投稿者側は曖昧表現でも注意が必要

    • 「名前を伏せれば大丈夫」と思い込むのは危険。

    • ネット上での発信は、意図せず周囲の人に特定される要素が含まれていることが多いです。

おわりに

インターネット上の誹謗中傷やプライバシー侵害は、匿名性ゆえに「実名を書かなければセーフ」と誤解されがちです。しかし、裁判実務では、当該投稿が被害者を指していると認識されるに足る情報が含まれている場合、十分に同定可能性が肯定されます。書き込みの対象が明確に特定されていると判断されると、発信者情報開示請求などの手続きがスムーズに進み、損害賠償などの民事責任追及に至ることも少なくありません。

もしご自身やご家族がインターネット上での誹謗中傷に直面しているのであれば、該当する投稿や周辺の投稿を保存し、速やかに専門家へ相談することをおすすめします。証拠を適切に集め、「どのように同定可能性が認められるか」を論理的に整理することで、削除請求や開示請求を成功させる可能性が高まるからです。一方、投稿者としてのリスクも大きいため、インターネット上で表現を行う際は慎重に情報を扱いましょう。

「同定可能性」という観点を理解することは、名誉やプライバシーを守るうえで非常に重要です。インターネットが社会のインフラとして広く利用される時代だからこそ、自分や周囲の人が不当な権利侵害を受けないためにも、基本的なルールと注意点をぜひ知っておいてください。

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