発信者情報開示の費用は投稿者に請求できるか?――「全額」を認めなかった知財高裁令和7年6月2日判決と裁判例の最新動向

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弁護士大熊 裕司
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インターネット上で誹謗中傷の書き込みをされたり、自社の商品写真を無断で使われたりしたとき、匿名の相手に損害賠償を請求するには、まず「誰が投稿したのか」を特定しなければなりません。そのための法的手続が発信者情報開示請求です。

ところが、この特定作業には弁護士費用・裁判費用として数十万円規模の出費がかかるのが通常です。被害者からすれば、「犯人を特定するためにかかったお金は、当然、投稿者本人に払わせたい」と考えるのが自然でしょう。では、裁判所は開示手続の費用を投稿者への損害賠償としてどこまで認めてくれるのでしょうか。

この論点について、知的財産高等裁判所は令和7年(2025年)6月2日、「開示費用は特段の事情がない限り全額が損害になる」という被害者側の主張を退け、支出した費用のうち20万円の限度でのみ賠償を認める判断を示しました(知財高判令和7年6月2日・令和6年(ネ)第10088号。判決文PDF・裁判所ウェブサイト)。

本記事では、この知財高裁判決を軸に、開示費用の賠償を全額認めた裁判例・按分して認めた裁判例をあわせて整理し、「開示費用はどこまで取り戻せるのか」の現在地を解説します。

前提知識の整理

本題に入る前に、必要な法律知識を整理します。

  • 発信者情報開示請求:プロバイダやサイト運営者に対し、匿名投稿者の氏名・住所等の開示を求める手続です。現在は、非訟手続である発信者情報開示命令(旧プロバイダ責任制限法を改正した情報流通プラットフォーム対処法〔情プラ法〕8条)を利用するのが標準的ですが、仮処分と訴訟を組み合わせる従来型の手続がとられることもあります。
  • 不法行為に基づく損害賠償(民法709条):損害賠償の対象となるのは、加害行為と相当因果関係のある損害に限られます。「その支出は加害行為から通常生ずべき損害といえるか」という規範的な絞りがかかるため、実際に支払ったお金がすべて損害と認められるわけではありません。
  • 弁護士費用の扱い:日本では弁護士費用は原則として各自負担ですが、不法行為訴訟では、判例上、認容額の1割程度が「弁護士費用相当損害金」として認められるのが実務です(最判昭和44年2月27日民集23巻2号441頁)。
  • 調査費用(開示費用):これに対し、発信者を特定するために先行して支出した開示手続の弁護士費用・実費は、上記の「訴訟追行のための弁護士費用」とは別枠の調査費用として損害賠償の対象になるかが争われます。本記事のテーマはこの部分です。
図1 匿名投稿者への損害賠償請求と調査費用(開示費用)の位置づけ
図1 匿名投稿者への損害賠償請求と「調査費用」の位置づけ

判例の紹介と分析

事案の概要――釣具の商品写真を無断使用された事件

主題となる知財高裁判決の事案は、誹謗中傷ではなく著作権侵害のケースです。

釣具を販売する会社(控訴人)は、自社が撮影した釣具の商品写真9点について著作権を有していました。ところが、ある個人(被控訴人)がインターネットオークションに釣具を出品する際、この写真を複製した画像9点を無断で掲載しました。

会社側は、投稿者を特定するため、オークションサイトを運営するプロバイダに対して発信者情報開示手続を行い、投稿者を特定しました。会社側の主張によれば、この開示手続では、プロバイダ側が複数の弁護士を立てて全面的に争ったうえ、投稿者本人も「オークションサイトを利用したことがない」という虚偽の回答をしており、特定には相当の労力を要したとされています。

会社側は特定した投稿者に対し、写真の無断使用による損害と開示手続の費用など合計151万2500円の賠償を求めて提訴しました。第一審の東京地裁(東京地判令和6年11月14日・令和5年(ワ)第70611号)は36万8000円の限度で請求を認容し、このうち開示手続費用は支出額の一部である20万円に限定しました。会社側はこれを不服として控訴しました。

争点――開示費用は「原則全額」が損害になるのか

控訴審での中心的な争点は、発信者情報開示手続に要した費用のうち、どこまでが不法行為と相当因果関係のある損害と認められるかでした。

会社側は、次のように主張しました。

「発信者情報開示手続に関する弁護士報酬は、当該加害者に対して損害賠償請求等をするために必要不可欠の費用であり、特段の事情がない限り、その全額を不法行為と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。上記費用の全額を回収できないとする規範を形成することは、被害者側に救済のためのコストを強いる結果となり、被害者救済の観点から相当でない。」

つまり、「開示費用は原則全額賠償」という一般的なルールを立てるべきだ、という主張です。プロバイダが全面的に争った困難な事案であること、投稿者の虚偽回答が開示手続を余儀なくさせたことも、全額を認めるべき事情として挙げられました。

裁判所の判断――「手続の性質、内容等に照らし」20万円に限定

知財高裁は、会社側の主張を退けました。判決は次のように述べています。

「控訴人が挙げる事情は、いずれも、控訴人が本件開示手続に関して支出した費用の全てが被控訴人の不法行為と相当因果関係を有すると解すべき事情とはいえず、控訴人の主張を考慮しても、発信者情報開示手続の性質、内容等に照らし、控訴人が本件開示手続に関して支出した費用のうち20万円の範囲で被控訴人の不法行為と相当因果関係のある損害と認めた、原判決の判断は相当である。」

プロバイダが激しく争ったことも、投稿者が虚偽回答をしたことも、「全額」を認める理由にはならない――開示費用の賠償は「発信者情報開示手続の性質、内容等」に照らして画される、という判断です(控訴棄却)。

比較――全額を認めた裁判例・按分した裁判例

もっとも、裁判例は「開示費用は一部しか認めない」方向で一枚岩なわけではありません。誹謗中傷の事案では、全額の賠償を認めた例が複数あります。

【全額認容の例・高裁】東京高判令和2年1月23日(判例タイムズ1490号109頁)

インターネット上の多数の投稿による名誉毀損の事案で、東京高裁は、発信者情報開示請求訴訟の弁護士費用について、

「上記の費用は、本件各投稿のいずれかを含む投稿に係る発信者情報開示請求訴訟の追行に要した費用である以上、その全額が本件不法行為と相当因果関係のある損害と認められるというべきである。」

と判示し、開示請求等費用227万1687円の全額を損害と認めました。他方、同判決は、刑事告訴・被害届の提出に要した弁護士費用については「民事上の損害賠償請求をするに当たって当然に必要となる手続であるとはいえ」ないとして賠償を否定しており、開示費用と刑事告訴費用とで損害性の扱いを明確に区別した点でも参考になります。

【全額認容の例①】さいたま地判平成28年2月8日(平成27年(ワ)第2433号)

匿名掲示板「ホストラブ」への誹謗中傷の書き込みについて、接客飲食店勤務の女性が投稿者に損害賠償を求めた事案です(当事務所が原告代理人を務めました)。裁判所は、発信者情報の取得に要した費用48万2000円の全額を「被告の本件行為と相当因果関係のある損害」と認め、慰謝料50万円・弁護士費用10万円とあわせて合計108万2000円の支払を命じました。

【全額認容の例②】前橋地判令和5年12月8日(令和5年(ワ)第158号・賃金と社会保障1849号17頁)

重度の障害のある方への掲示板上のヘイトスピーチが問題となった事案です。裁判所は、

「上記手続は専門的知識がなければ進めるのが困難である。したがって、原告が、原告代理人弁護士に委任して、本件発信者情報開示請求手続を行ったことにより要した費用は、社会通念上相当な額であれば、本件不法行為と相当因果関係を有する損害として認めるのが相当である。」

と述べ、サイト運営者への開示請求と経由プロバイダへの開示請求訴訟という2段階の手続に要した27万7446円の全額を認容しました(慰謝料60万円等とあわせ合計96万5190円)。

【按分認容の例】東京地判令和5年3月31日(令和3年(ワ)第20061号)

電子掲示板上の多数の投稿について、投稿者5名に損害賠償を求めた事案です。裁判所は、

「発信者情報開示請求について、法律の専門家ではない一般人が行うことには困難が伴うというべきであるから、これを弁護士に委任するための費用(調査費用)については、不相当に過大なものでない限り、不法行為との間に相当因果関係のある損害と認めるのが相当である」

という規範を示したうえで、開示手続全体の弁護士費用を投稿数で按分した金額(被告ごとに約12万円〜約84万円)をそれぞれの投稿者に負担させました。複数人による書き込みの事案で、費用をどう割り付けるかについて参考になる判断です。

図2 発信者情報開示費用(調査費用)の賠償を判断した裁判例の比較表
図2 発信者情報開示費用の賠償を判断した裁判例の比較

統計でみる開示費用の認容状況

裁判例全体の傾向は、法務省民事局が令和8年(2026年)4月に公表した「インターネット上の名誉権侵害等の損害賠償額等に関する調査報告書」が参考になります(同報告書の全体像はこちらの解説記事をご覧ください)。同報告書によれば、開示請求等費用(発信者情報開示手続に係る弁護士費用等)を独立の損害費目として請求した35件の内訳は、次のとおりでした(同報告書36頁・表10)。

  • 全額認定:10件(28.6%)
  • 一部認定:21件(60.0%)
    • うち開示対象外の投稿分を理由とする減額:8件(22.9%)
    • うちその他の理由による一部認定:13件(37.1%)
  • 弁護士費用の認定額の中で考慮:1件(2.9%)
  • 損害該当性を否定して全部棄却:1件(2.9%)
  • 支出の証拠がないことを理由に全部棄却:2件(5.7%)

全額認定は約3割にとどまる一方、何らかの形で賠償が認められた例が9割超を占めます。注目すべきは、「支出の証拠がない」という立証上の理由だけで全部棄却された例が現に存在することです。規範論以前に、支出の証拠化が決定的に重要であることを示しています。

判例の意義・射程――「事案の性質」がカギ

各裁判例を並べると、次の構図が見えてきます(※図2参照)。

第一に、誹謗中傷型の事案では、開示費用は「社会通念上相当な額」「不相当に過大でない限り」全額ないし按分額が認められる傾向があります。匿名の人格権侵害では、開示手続を経なければ加害者に到達するすべがなく、費用の支出は被害回復に不可欠だからです。

第二に、知財高裁令和7年判決は、「原則全額」という一般規範の形成を明確に拒否しました。同判決が「発信者情報開示手続の性質、内容等に照らし」という限定枠組みを用いた点は、開示費用の賠償が事案ごとの規範的評価に服することを示しています。本件は商品写真9点のオークションへの無断掲載という財産的損害が比較的小さい著作権侵害の事案であり、本体の損害(写真の使用料相当額等)に比して開示費用が過大となるケースでは、賠償額が圧縮されるリスクがあることを明らかにした点に意義があります。

第三に、この判決は「開示費用は20万円まで」という相場を作ったものではありません。あくまで事案の性質・内容に照らした個別判断であり、悪質な誹謗中傷の事案にまで射程が及ぶものではないと考えられます。ただし、被侵害利益の性質や本体損害との均衡が考慮要素になることは、今後の実務で意識せざるを得ないでしょう。

実務への影響・ポイント

被害者側の視点では、次の点が重要です。

  1. 費用倒れリスクの見積り:開示費用の全額回収は保証されていません。特に、本体の損害額が小さい事案(少数の投稿、財産的損害中心の事案)では、開示費用の賠償が圧縮される可能性を織り込んで、手続選択(開示命令の活用による費用圧縮を含む)を検討する必要があります(開示手続の費用相場はこちらの記事をご覧ください)。
  2. 支出の証拠化:前橋地裁判決は、委任契約に基づく着手金・実費の支払を証拠(領収書等)で認定したうえで全額を認めています。開示段階の弁護士費用は、委任契約書・請求書・振込記録で費目ごとに立証できるよう整理しておくことが不可欠です。
  3. 投稿数按分への備え:複数の投稿者・複数の投稿がある事案では、東京地裁令和5年判決のように投稿数按分の考え方が採られることがあります。開示手続の費用がどの投稿の特定に対応するのか、内訳を説明できる資料を作っておくと立証がスムーズです。
  4. 請求の構成:開示費用(調査費用)は、慰謝料や訴訟追行の弁護士費用相当損害金とは別個の損害項目として明示的に主張します。弁護士費用相当損害金の算定基礎に調査費用を含めた裁判例(前橋地裁判決)もあり、組み立て方で結論が変わり得ます。

投稿者側(請求を受けた側)の視点では、知財高裁判決の「手続の性質、内容等に照らし」という枠組みは、開示費用の過大請求に対する有力な反論の足がかりになります。本体損害との均衡や手続の実際の内容を具体的に指摘することが考えられます。

まとめ

  • 発信者情報開示にかかった費用は、不法行為と相当因果関係のある「調査費用」として投稿者に請求できるのが基本です。誹謗中傷の事案では全額認容例が複数あります。
  • しかし、知財高裁令和7年6月2日判決は「特段の事情がない限り全額」という規範を明確に否定し、支出費用のうち20万円の限度でのみ賠償を認めました。開示費用の回収可能額は、事案の性質・内容による個別判断です。
  • 被害者側は、費用倒れを防ぐ手続選択と、開示費用の支出の丁寧な証拠化が重要になります。

ネット上の権利侵害では、「投稿者を特定できるか」だけでなく「特定にかけた費用をどこまで回収できるか」までを見据えた戦略設計が欠かせません。開示請求をご検討の際は、早い段階で専門家にご相談ください。

出典・参考判例

  • 知財高判令和7年6月2日・令和6年(ネ)第10088号(損害賠償請求控訴事件):判決文PDF・裁判所ウェブサイト(原審・東京地判令和6年11月14日・令和5年(ワ)第70611号)
  • さいたま地判平成28年2月8日・平成27年(ワ)第2433号(公刊物未登載・当事務所受任事件)
  • 東京地判令和5年3月31日・令和3年(ワ)第20061号
  • 前橋地判令和5年12月8日・令和5年(ワ)第158号(賃金と社会保障1849号17頁)
  • 東京高判令和2年1月23日・判例タイムズ1490号109頁
  • 最判昭和44年2月27日・民集23巻2号441頁

参考文献

  • 法務省民事局「インターネット上の名誉権侵害等の損害賠償額等に関する調査報告書」(令和8年4月)36〜39頁:法務省ウェブサイト(PDF)

本記事は一般的な情報提供を目的とするものであり、法的アドバイスを提供するものではありません。具体的な法律問題については、弁護士にご相談ください。

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